【単純化の罠】分断して考える本能と世界を正しいとらえ方

教養

はじめに

学生時代、「特別支援教育」に関する講義の中で、下の図に出会いました。

何を表した図でしょうか?

………

これは、障害の有無を表したモデルです。

世の中には「障害のない人」と「障害のある人」がいる。そんな認識を「白=障害なし、黒=障害あり」で表しているわけです。

障害のある人は特別支援教育を受ける、障害のない人は普通の教室でクラスメイトと授業を受ける。このモデルは当たり前のことを表しているように思えます。

ここで、次のモデルを見てください。

さて、こちらは何を表しているでしょうか。

少し間をとって考えてみてください!

グラデーションが示す真実

答えはというと、こちらも障害の有無を表したモデルです。こちらのモデルは白から黒へ、徐々にグラデーションになっています。

「白黒はっきりせいや!」なんて声も聞こえてきそうですが、「障害」についてより的確に表現しているのは、グラデーションのモデルです

そもそも人間には1人ひとり違いがあります。それぞれ得意なこともあれば、苦手なこともあるでしょう。文章を読むことが苦手な人、話すことが苦手な人、計算が苦手な人。世界は多様性にあふれています。

それでは、あなたは障害の有無を何を基準に線引きするべきだと思いますか?

IQでしょうか?発達検査の結果でしょうか?テストで赤点を取ったとき、通知表に1がついたときに判断すべきでしょうか?

たしかに、点数や検査の結果で「学習障害(LD)」や「自閉スペクトラム症」などと診断名がつくこともあります。障害者手帳が発行されることもあるでしょう。

それでは、同じ状況でも検査を受けなければ「障害はない」ということなのでしょうか。

点数や検査では、世の中のすべての人を「障害あり、なし」で分けることは難しそうです。

ここで、モデルに立ち返ります。

グラデーションのモデルには、白と黒の間に境界線がありません。そして、これこそが真実なのです。

障害の有無に明確な区別は存在しません。そして、「完全な白」、「完全な黒」さえも存在しないのです。

僕自身、学生時代にこのモデルに出会ったときには、それまでの価値観が覆されるような衝撃を受けました。

多くの二分された世界

「男性と女性」「理系と文系」「敵と味方」…

多くの二分による単純なものの見方が、私たちの視野を狭めている事実に気づかねばなりません。

FACTFULLNESS(ファクトフルネス)」を読まれたことのある方であれば、上述の話題が「世界」という大きなスケールにも当てはまることがお分かりかと思います。

ファクトフルネスは、データや事実に基づき、私たち人間を「10の本能(思い込み)」から解放しようと試みています。

そのうち最初に取り上げられているのが「分断本能(世界は分断されているという思い込み)」です。

私たちの多くは国家を「先進国」と「途上国」に二分してとらえます。

しかしファクトフルネスではこの分類をデータに基づいて否定しています。

そして、ファクトフルネスの中での分類はこのようになっています。

レベル1(1人当たりの1日あたりの所得:~2ドル、移動手段:素足)

レベル2(1人当たりの1日あたりの所得:2ドル~8ドル、移動手段:自転車)

レベル3(1人当たりの1日あたりの所得:8ドル~32ドル、移動手段:バイク)

レベル4(1人当たりの1日あたりの所得:32ドル~、移動手段:自動車)

私たちのイメージする「途上国」はこの分類でいうとレベル1に当てはまります。

私たちのイメージする「先進国」はこの分類でいうとレベル4に当てはまります。ここには当然、日本も含まれます。

世界の実情を人数比(2017年時点)でみると、レベル1から順に10億、20億、30億、10億人となっています。

1965年時点では、確かに世界は豊かな「先進国」と貧しい「途上国」に分断されているという傾向が強く、「南北問題」も存在していました。

しかし現在は、レベル2、レベル3にあたる「中所得国」が最も大きなスケールを占めているのです。

また、ファクトフルネスの指摘によれば、時間の経過とともに国家はレベル1からレベル4までの道をたどっていくとされています。この事実は、データをもとにこちらのサイトに可視化されていますので、ご参照ください。

Gapminder Tools
Animated global statistics that everyone can understand

まとめ

今回は、僕自身の学生時代の経験を紹介し、関連付けてファクトフルネスから「分断本能」について解説させていただきました。

これまでに少し触れましたが、「男性と女性」の区別についてもグラデーションとしてとらえることが常識となってきています。「恋愛対象」や「自分自身の自覚する性」の多様性を認め、「どちらかの性を選択しないこと」も認める。そうしたことが当たり前の時代なのです。

男女の違いに当てはめて考えるとわかりやすいですが、何の疑いをもつこともなく、世界を「分断されたもの」としてとらえることは、認められない人を生んでしまったり、世界を間違った姿でとらえてしまったりすることに繋がるでしょう。そこからは、差別が生まれるかもしれません。

「簡単に分断してとらえない」

「過度に単純化しようとしない」

ということが大切なのです。

みなさんも、私たちの身の回りにはどのような「分断」があるのか考えてみてくださいね!

それでは!ありがとうございました!

【参考文献】

「FACTFULLNESS 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣」ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド 2019

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