【必須の教養】個人・組織を成長させる「巨人の肩の上に立つ」という発想

働き方

はじめに

「巨人の肩の上に立つ」という言葉をご存じですか?

この言葉は、アイザック・ニュートンの言葉です。

万有引力を見つけたニュートンは、「なぜあんなにすごい発見をすることができたのか」と問われ、「私は巨人の肩の上に立っていたから遠くを見通せた。私がすごいのではなく、先人たちがすごいのだ。」と答えたといいます。

つまり、「人類の叡智とは積み上げである」ということです。

先人の努力やひらめきがあるからこそ、わたしたちはこんなに便利で快適な世の中を生きることができているということですね。

さて、今回の記事は「『巨人の肩の上に立つ』ということを応用して効率を高める発想法」というテーマを取り上げていきます!

「巨人の肩の上に立つ」は学問以外にも大切な考え方

巨人の肩の上に立つ」についてもう少し詳しく考えていきましょう。

そもそも、小学校から高校で行う「学習」は基本的に、先人の知恵を受け取り、巨人の肩の上に登るような行為です。

一方、大学や研究機関などで行う「研究」や「開発」、そして多くの「仕事」は、それまで学んだ経験や知識をもとに課題解決を行う、巨人の肩の上から見渡し、歩みを進める行為です。

つまり、わたしたちの行う「研究」「開発」「思考」「執筆」「仕事」などの営みは巨人の肩の上に立って行っているものであるといえます。

言い換えれば、「学習」は基本的に準備段階としての行為であり、本当に大切なのは「学習」という「インプット」ではなく、「実践」という「アウトプット」側の行為であるということです。

世の中には、「インプット」に偏っている方が多くいらっしゃるように思います。

どれだけ「インプット」を積み上げ、高い場所にたどり着いたとしても、そこで目を瞑り遠くを見渡すことをしなければ、「インプット」を「アウトプット」へとつなげることをしなければ、何の価値も生み出すことができないのです。

ここで断っておきたいことは、僕は「インプット」という行為を否定しているのではなく、「インプット」で高い地点(巨人の肩の上)まで登ったあなたにこそ、より遠くを見通し、「実践」という「アウトプット」をしていただきたいと考えているということです。

あなたにしか生み出せない価値、見渡せない場所がきっとあるはずです

「巨人の肩の上に立たせない」という文化

さて、ここからは「巨人の肩の上に立つ」を少し違った視点から考えてみましょう。

”車”に乗って移動する、夜は”電気”をつけて過ごす、決められた”時間”を守る、共通の”言語”を使ってコミュニケーションをする。

あらためて生活を見直すと、ほとんどすべてのことが「テクノロジー」や「文化」という巨人の肩の上に立って行っている行為であるといえるのではないでしょうか。

巨人の肩の上に立つ」ということは何も画期的なことではなく、わたしたちが日常的に意識的・無意識的にかかわらず当たり前に行っていることなのです。

しかし、世の中には「巨人の肩に立たせない」ような文化がいくつかあります。

ここまでお読みいただいた方なら、

「まさか、そんなことがあるのか!?」

と思われるかもしれません。しかし、特に日本には「巨人の肩に立たせない」という文化があるように感じることが多くあります。

例えば、算数の「九九」。

我が国の教育現場では必ず通る道ですから、皆さんにも小学校2年生で一生懸命に暗記した経験があるのではないでしょうか。

僕自身、教育に携わっていますが、「九九を覚えられないこと」が原因で算数嫌いになる子どもはたくさんいますし、小学校高学年、中学生になっても「九九」がわからないばかりに、算数のほぼすべての学習が理解できないという子どももいます。

「九九」の暗記は算数を学ぶ上で必須の条件なのでしょうか。

いえ、「九九」が暗記できないからといって、それ以降の勉強をあきらめる必要はまったくないはずです。

僕が海外の学校を訪問した際、教室には「九九表」が掲示されていました。それも1つの手ではないでしょうか。

ましてやこの電卓や表計算ソフトで計算することが当たり前の時代に、手計算に執着する必要性はありません。

もちろん、簡単な計算は頭の中で瞬時的にできた方が便利ですので、「九九」を暗記できる人は暗記するべきだと思います。

しかし、過度に「九九の暗記」に執着しすぎてはいけないのです。

電卓という人類の叡智が目の前にあるのですから、「九九」が暗記できなくても、より高度な学習をしたり、データを扱ったりすることは認められてもよいはずです。

「より実践的に」という観点からも、早い段階から、大いに「巨人の肩の上に立つ」という経験を重ねるべきだと思うのです。

また、「仕事」の世界でも「巨人の肩の上に立たせない」という文化は存在しています。

苦労は買ってでもしろ」というのがその代表的なものです。

「俺も若いときは苦労したんだ」などという理屈で新入社員を闇雲に頑張らせようというのは誤ったアプローチです。

なぜなら、上司や先輩の本来あるべき姿は、「先人として、部下や後輩を自分の肩に乗せること」であるためです。

部下や後輩の前に立ちはだかる壁は、先人である上司や先輩が過去に経験したものであることが多いでしょう。

それを乗り越えたノウハウは、何のためらいもなく部下や後輩へ受け渡し、部下や後輩は先人の肩の上に立って、新たな時代の新たな課題に取り組んでいくべきなのです。

それはちょうど、リレーのバトンをつないでいくように。

まとめ

今回は、「学習」のレベル、「仕事」のレベルに分けて「巨人の肩の上に立つ」という行為について考えてきました。

あらためて、僕が皆さんに伝えたかったことは2つあります。

それは、

  • 多くのことは自ら頭を悩ませて行うのではなく「巨人の肩の上に立つ」という視点をもってショートカットしてもよいということ。
  • 先輩や上司、大人として誰かの先を生きる皆さんには、先人として、次の世代に良い形でバトンをつないでいってほしいということ。

とくに2つ目については、強い思いがあります。

記事の始めに述べたように、「人類の叡智とは積み上げ」です。

これは、わたしたちの次の世代は、わたしたちよりも高く積み上げられた叡智の上で生きていくということです。

ある意味では「次の世代を生きる人のほうがわたしたちよりも先を歩んでいる」ということもできるでしょう。

このことを受け入れ、サポートに回ることも先人としての大切な役割であると思います。

これは、個人レベルだけではなく企業レベルでも重要なことです。

日本の上場企業(2020年3月末時点)は、1850年‐1940年代に設立された企業が268社と最も多く、1990年代以降に設立された企業は81社にとどまります。(1950‐1980年代が151社)

一方、アメリカの上場企業は 1990年代以降に設立された企業が273社と最も多いのです。(1850年‐1940年代が70社、1950‐1980年代が157社)

以上のデータから、わが国では近年、上場企業の登場が停滞していることがお分かりいただけたかと思います。

次世代の事業や企業を生み出せない大企業は、大企業の役割を果たしていない。

これは、「シンニホン」の著者、安宅和人さんの言葉です。

また、こちらも安宅さんの発言を参考にさせていたものですが、

古川電工がジーメンスと組んで富士電機を作り、富士電機がさらに富士通を作ってきたように、あるいは三井物産が豊田自動織機にお金を入れて、その豊田自動織機がさらにトヨタ自動車を生み出してきたように、次を生み出すのが大企業の一番のミッションなのです。

このことからもあらためて、「巨人の肩の上に立つ」というが多くの方にとって、いかに大切な考え方であることをご理解いただけたかと思います。

さあ、すぐにでも人類の叡智の「受け手」「渡し手」としての一歩を踏み出しましょう!

それでは!ありがとうございました!

【参考文献】

「東大の先生!文系の私に超わかりやすく高校の数学を教えてください!」西成活裕 2020

「独学大全 絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法」読書猿 2020

「シンニホン」安宅和人 2020

「嫌われる勇気」岸見一郎・古賀史健 2013

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