【比較の罠】比べることによって生まれた”偽りの不幸”

ライフスタイル

はじめに

北海道の気温0℃。

秋と春では、同じ0℃でも感じ方が全く違います。

秋の0℃は冬の訪れを予感させ、とても寒く感じられます。

春の0℃は暖かく感じられ、春の訪れを感じます。

わたしたちの”感覚”は相対的なものです。

普段マンションの1階に住んでいる人がホテルの5階に宿泊したら、「高い」と感じるでしょう。

一方、20階以上のいわゆるタワマンの高層階に住んでいる人からすれば、5階の部屋は「低い」ものでしょう。

このように、わたしたちは多くの感覚は、比較によって相対的なものとして意味づけをしているものであるといえます。

「熱い」「寒い」「高い」「低い」「明るい」「暗い」「豊か」「貧しい」「良い」「悪い」、そして「幸せ」「不幸」に至るまで、”基準”となる地点があってこそ初めて知覚できるものなのです。

これは、”感覚”に限った話ではなく、アドラー心理学が「すべての悩みは対人関係」という立場をとるように、様々な”悩み”についても、他の人の存在を前提とした相対的な意味づけによって感じているのです。

そして、今回の記事で述べていくのは、あなたの感じる”不幸”や”悪い”という感覚は、そういった比較による相対的な思い込みに過ぎず、実はそこまで悪くないのではないかということです。

もしも、あなたの感じる”不幸”や”悪い”というものが、それ自体には何の意味もない「相対的に悪い」ものであるなら、なにかとの比較からあなたを解放することが、今よりずっと気楽な、そして幸せな人生につながるではないか、ということについて検討していきます。

「相対的に悪い」は何を基準とするのか

比較によって成立する概念、それが「相対的に悪い」というものです。

このことを理解するには、これとは逆に「絶対的に悪い」について考えるとわかりやすいかもしれません。

絶対的に悪い」とは、「そのこと自体があなたに悪影響を与えている」という状態です。

たとえば、「骨折」は「絶対的に悪い」ものでしょう。

これは、「骨折」という状態自体があなたに”痛み”を与えているためです。

「病気」や「負傷」など、”痛み”や”体調不良”にかかわるものは「絶対的に悪い」ということができます。

それでは、「絶対的に悪い」事柄には他にどのようなものがあるでしょうか。

たとえば、「貧しい」はいかがでしょう。

そもそも「貧しい」は、比較する基準がなければ成立しない概念ですから、「絶対的に悪い」とはいえないでしょう。

「貧しい」「豊か」という、どれだけの財産を持っているのかという問題には、どこに基準を置くのかということが重要となります。

ここでは、3つの基準について考えていきましょう。

  1. 誰かに負けていれば「貧しい」とする考え方。現在約79億人いる人類の中で、トップに立つことができるのはたった1人なわけですから、「誰かに負けている状態=貧しい」とするのであれば、あなたは「貧しい」はずです。
  2. 「貧しい」と「豊か」に世界を二分しようという考え方。「平均以上かそれ以下か」で分けるとよいでしょう。日本人であるあなたは、「豊か」です。
  3. 「平均で分けられるほど単純な問題ではない」とお考えの皆さん、「上位〇〇%が豊か」と定義することが必要です。その線引きはどこにしますか?それによると、あなたは「豊か」ですか?

…あなたにとっての基準はどれにしましょうか?

ここで皆さんに考えていただきたいことは、あなた独自の軸で考える「貧しい」「豊か」というものにはどのような意味があるのだろう、ということです。

「トップ1人だけが豊か」と考える人が、あなたを「貧乏!」と攻め立ててきたとして、あなたは悔しがるべきでしょうか。

この争いは、不毛なものではないでしょうか。

批判も覚悟で言い切りますが、「自分は貧しい」という”悩み”も、その人自身が相対的に(勝手に)意味づけを行ったに過ぎないのですから、不毛で無意味な”悩み”なのです。

「お金が少ない」は「間接的に悪い」

「お金が少ない」ということについて、もう少し深く考えていきましょう。

「お金」というものそれ自体はただの金属であり、紙切れに過ぎないのですから、それを持っている量によってあなたの”不幸”が決定されることは絶対にありません。

「お金が少ない」は「絶対的に悪い」ものではないのです。

そして、その量を他人と比較し「相対的に悪い」と意味づけることは無意味であるということについてはこれまでに述べてきました。

しかし、「お金が少ない」ということは、あなたにとって確かに”悪い”ものとなることがあります。

貧困の問題は、

お金がない⇒食料などの生活物資が用意できない⇒健康や生活に悪影響が出る

という段階を踏んだものです。

これはいわば「間接的に悪い」ものでしょう。

ここまでの議論をお読みになって、

絶対的だろうが相対的だろうが間接的だろうが悪いものは悪いんだよ!

とお思いになった皆さん、もう少々お待ちください。

ここからは、

「絶対的」「相対的」「間接的」の思考があなたを「不幸」から解放する

ということについて述べていきます。

あなたは「不幸」なのか

これまでは、「絶対的に悪い」「相対的に悪い」「間接的に悪い」という分類についてまとめてきました。

整理すると、

絶対的に悪い」ものは、それ自体があなたに”痛み”や”体調不良”といった悪影響をもたらすのでした。

相対的に悪い」ものには、基準となる地点があるのでした。

間接的に悪い」ものには、それ自体に意味などなく、いくつかの段階を経て”悪い”という意味が生じるのでした。

ここで考えていくのは、世の中の「悪いこと(悩み)」のうち、「絶対的に悪い=本当に悪い」ものは一体どれだけあるのかということです。

前述の通り、”痛み”や”体調不良”にかかわるものは、その人にとって「絶対的に悪い」ものでしょう。

それでは他に、どのようなものがあるでしょうか。

人の”悩み”を単純化するために、ここでは

悩み=欲求を満たすことができない状態

と定義し議論を進めていきます。

また、欲求について整理するために、マズローの欲求5段階説を参照します。

欲求5段階説とは、

人間の欲求を

生理的欲求⇒安全欲求⇒所属と愛の欲求⇒承認欲求⇒自己実現欲求

の5段階に分類し、生理的欲求という低次元の欲求から順に満たしていくことで、次の段階の欲求をもつようになり、最終的には自己実現欲求へと近づいていく。

というものです。

生理的欲求が満たされないことは、「絶対的に悪い」でしょう。これは、命にかかわります。

安全欲求が満たされないことも、「絶対的に悪い」ものです。安全が確保されなければ、生命が脅かされます。

所属と愛の欲求が満たされないということについてはいかがでしょうか。結論からいうと、これは「絶対的に悪い」ものではありません。

このことをご説明するにあたり、アドラー心理学の力を借ります。

それは、「世界にはあなたがたった1人」であった場合、対人関係の悩みなど存在しないだろうという考え方です。

あなたに”悪い”影響を与える人がいたのなら、その人とは距離を置けばよいのです。もう会わなければ良いのです。

「あの人と仲が悪いこと」「恋人と別れたこと」それ自体があなたに悪影響を与えることはありません。

しかしこれは、「一緒にいられた場合起こったであろう良いこと」という”機会の損失”に注目すれば「相対的に悪い」といえますし、「いつも食べ物を与えてくれるAさん」との別れは、「食」という生理的欲求を脅かすということで「間接的に悪い」とも考えることができるでしょう。

承認欲求は、他者がいて初めて生じる欲求ですから、承認されなかったからといって「絶対的に悪い」ということにはなりません。

SNSで”いいね”をもらえなかったとしても、あなたの人生にはなんら悪影響などないのです。

しかし、「”いいね”をもらったことで得られる喜びを得られなかった」と考えれば、”機会の損失”となり「相対的に悪い」と考えることもできます。

自己実現欲求についてもアドラーの力を借りて検討していきましょう。

アドラー心理学は、「この宇宙にあなたがたった一人なら”夢”や”自己実現”の悩みは存在しないだろう」ということを示唆しています。

この議論はもっともでしょう。あなたの夢は、社会やほかの人から発信される情報、言語を前提としなければ存在しません。

人間以外の動物が高次の自己実現欲求を持っているとは考えられないでしょう。

ですので、これも「絶対的に悪い」とはいえません。

しかし、自己実現によって得られた喜びなどの”機会の損失”と考えれば、自己実現が達成された場合と比較して「相対的に悪い」ということができます。

ここまでを整理すると、生理的欲求安全欲求が満たされないことは、あなたにとって「絶対的に悪い」ものといえますが、それ以外の欲求が満たされないことによって生じる”悩み”は「相対的」なものである、ということです。

そして、「相対的に悪い」という感覚は、前述の通り、あなたの基準次第で払拭することができるものなのです。

現代社会では、物質的な豊かさや過去に例を見ない生活基盤の安定が達成されていますから、わたしたちのもつ”悩み”のほとんどは、所属と愛の欲求承認欲求自己実現欲求でしょう。

「本当は悪くないもの」に悩み、精神をすり減らすのはあなたにとって、決して良いことではないはずです。

まとめ

今回は、「絶対的」「相対的」「間接的」という分類を用いて、”不幸”や”悪い”という感覚、そして”悩み”について考えてきました。

繰り返しになりますが、「相対的」なものは、あなたのとらえ方次第です。

後半部分ではマズローの欲求5段階説に基づき、生理的欲求・安全欲求以外によって生じる”悩み”のほとんどは「相対的」なものであり、あなたのとらえ方次第な部分が大きいということについて述べてきました。

ここで改めて、あなたの置かれている状況やあなたの感じる”不幸”や”悩み”について考えてみてください。

その中に「絶対的に悪い=本当に悪い」ものは一体どれだけあるでしょう。

この記事が、あなたを「相対的」な意味づけによる”不幸”や”悩み”から解放する1つの”きっかけ”になればうれしいです。

それでは!ありがとうございました!

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