はじめに
こんにちは!しょーです!
今日の記事は、
「石の上にも三年」は危険な考え方?非効率と決別して根性論を脱却しよう!
というテーマでまとめていきます!
みなさんは、「石の上にも三年」という言葉にどんなイメージがありますか?
忍耐力?
努力の人?
逆境にも負けない心?
多くの方のイメージ通り、「石の上にも三年」は”忍耐”や”辛抱”、”努力”を連想させる言葉です。
いかにも「勤勉な日本人」という国民像にぴったり合いそうな言葉ですよね。
ですので、辛い状況下でも忍耐強く頑張る姿と重ね合わせて、前向きな文脈で使われることの多い言葉だといえます。
しかし、実際に「石の上にも三年」が当てはまるような場面を想像してみるとどうでしょう。
- 料理の世界では見習いは皿洗いから
- 野球部の1年生は球拾いから
このような「石の上にも三年的なアプローチ」はスキル向上や成長につながるものなのでしょうか。
このように考えると1つの疑問が浮かびます。
それは、
「石の上にも三年」の価値観は非効率や根性論を生み出しているのではないか?
というものです。
この記事を読むと、
- 身の回りに溢れている非効率を見直すことができる
- 当たり前だと思って信じ込んでいる文化を批判的にとらえなおす力が身につく
この記事を読まなければ、
- 「右に倣え」で思考停止状態のロボットのような人間になってしまう
- まったく理にかなっていない思い込みにとらわれて偏った考え方をしてしまう
ともに”おかしなことにおかしいといえる力”を身に着けていきましょう!
「石の上にも三年」は思考停止を招く?

「石の上にも三年」が非効率を招くということについて、具体例を挙げて詳しく考えていきます。
「野球部の一年生は球拾いから」
本当にこれは正しいのでしょうか。
強豪高校野球部の3年生が、球拾いをする1年生の後輩から、
「球拾いばかりではなく野球の練習をしたいのですが…」
と言われたとします。
これにはどう答えるのが正しいでしょうか?
当事者ではないわたしたちから見れば、1年生の言葉は正しく、今すぐ野球の練習に取り組むことが上達への近道だと思われます。
しかし、多くの3年生はこう答えるでしょう。
「俺たちもやってきたんだからサボらずにやれ!」
集団の中で長い時間をかけて形作られてきた文化は相当に根深いものです。
これに対し、1年生がこう質問してきたとしたらどうでしょう。
「球拾いをやると、どんないいことがあるんですか?」(実際にはこんなことを聞くことのできる1年生は少ないでしょう)
3年生の先輩はこれに対する納得のいく回答をすることはできません。
この記事で考えていくのは、このような
「なぜ?」に答えられない行動は見直すべきだということ
です。
文化は思考停止を招きます。
世の中はテクノロジーの発達などによって目まぐるしく変化し、10年前には考えられなかったような出来事が次々に起こっています。
そんな中で、昔から変わらない文化にとらわれてしまっては、時代に取り残されてしまう子とは目に見えています。
「石の上にも三年」が大好きなベテラン層

野球部の例では、3年生(先人)は文化や思い込みにとらわれ、1年生(新人)はそういった文化に「なぜ?」を投げかける力をもっていました。
これは、野球部の例に限らず、世の中全般に例外なく当てはまる原理です。
なぜ先人は思い込みにとらわれ、新人はそれに疑問をぶつける力をもっているのか。
これには2つの理由があります。
1つ目の理由はすでに考えてきたように、先人は経験によって文化を思考停止状態で信じ込む状態に陥ってしまうためです。
そして2つ目の理由は、人は知識が増えるほど知識の枠組み(思い込み)から抜け出せなくなるためです。
このことについて解説していきます。
人は、知識が増えると身の回りに起こるほとんどすべての出来事を既存の知識で説明することができるようになります。
つまり、斬新で爆発力のある”突き抜けた発想”が浮かびづらくなっていくということです。
言い換えれば、経験を重ねるとともに客観的に考える力が減っていくということです。
”コンサル業”が成り立つのも、このことが大きくかかわっています。
企業内部の人物ではないからこそ、起業内部からは浮かび上がってこない様な角度からのアドバイスを送ることができるのです。

そして、文化や思い込みの問題を重大なものにする要因が1つあります。
それは、今の時代が戦後の”大量生産・大量消費社会”の後という文脈にあることです。
”大量生産・大量消費社会”では、スケール(規模)が何より大切な要素でした。
文字通り、たくさん作ってたくさん売ることが時代を勝ち抜く術だったのです。
そうした時代では、長時間労働や根性論が合理的な手段(戦術)でした。
つまり、今のベテラン層が信じている文化や価値観はそんな時代背景とともにあるのです。
そして、「石の上にも三年」は長時間労働や根性論を肯定する言葉になり得ます。
ですので、この記事の結論は、
文化の思い込みにとらわれず、「石の上にも三年的なアプローチ」を見直す視点をもち続けよう
ということになります。
そして、それを実現する力をもっているのは”新人”である若い層です。
また、若い層でなくても、「経験による思い込みがある」という事実を受け入れることで自らの可能性を広げていくことができるのです。
まとめ
今回は、「石の上にも三年」という言葉を批判的に検討してきました。
しかし、コツコツと時間をかけて積み上げていくアプローチも時には必要です。
同じ「石の上にも三年的なアプローチ」でもやってはいけないものと大切にしていくべきものがあるのです。
その線引きに関する判断基準はどのようなものなのか?
これについては、この記事ですでに述べてきました。
それは、
その行動は「なぜ?」に答えられるのか考える
ということです。
球拾いのように、理由を答えられないことが身の回りにあったのなら、すぐにやめてください。
そうして、本当にやるべきことにフォーカスしていくことでこそ、大きな成果を実現することができます。
それでは!ありがとうございました!
【参考文献】
「イシューからはじめよ」安宅和人 2010
「その指導は、しない」めがね旦那 2021
「ミライの授業」瀧本哲史 2016
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