はじめに
「魚が欲しいのならこれをやるよ」
釣りへ出かける友人に、あなたは魚を手渡します。
さて、あなたの友人は喜んでくれるでしょうか?
………恐らくあまり良い顔はされないと思います。
それでは友人は何のために釣りへ出かけるのでしょうか?
この問いに対するパスカルの答えは「気晴らし」です。(実際には、パスカルは釣りではなく「ウサギ狩り」を例に挙げています)
人は、ウサギを手に入れるためにウサギ狩りに行くのではなく、退屈をしのぐ「気晴らし」のためにウサギ狩りに行く。
それがパスカルの見解です。
それでは、現代を生きるわたしたちの「気晴らし」とはなんでしょうか?
皆さんは、退屈なとき何をしますか?
「SNSを見る」「テレビを見る」「本を読む」「眠る」人それぞれの過ごし方があるかと思います。
「休日のんびりしていたら、スマホのスクリーンタイムを見てゾッとした!」なんて経験のある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
今回は「スマホ」、特に「SNS」を取り上げながら、現代の「退屈」と「気晴らし」の関係について考えていきます。
人は「結果」よりも「期待」を好む生き物
- 朝起きてまず始めにやることはスマホのチェック、夜眠る前に最後にやることもスマホのチェック。
- SNSの画面を短時間の間に何度も更新して新たな投稿やフォロワーの反応をチェックする。
心当たりのある方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。
なぜ人はスマホに依存するのでしょう?
それは、「期待」という言葉で説明できます。
スマホやSNS、ゲームで得られる楽しさや高揚感を主に生み出すのは報酬物質として注目される「ドーパミン」です。
「ドーパミン」は、少し前までは「幸福物質」としてプラスのイメージで語られていました。
しかし、「スマホ依存」「ゲーム依存」「ギャンブル依存」「アルコール依存」が社会的に注目され始めると、ドーパミンは次第にネガティブな文脈で語られることが多くなりました。
それはなぜでしょうか。
報酬物質として注目される「ドーパミン」は何かを期待したときに最も多く分泌される物質です。
ドーパミンの報酬システムを作動させるのは、SNSでの「いいね」、ゲームの経験値、お金、食べ物それ自体ではなくそのことに対する「期待」なのです。
当然、SNSを運営する企業もこのことを熟知しています。実際に、FacebookやInstagramは「いいね」が反映されるのを意図的に保留することで私たちの報酬系を刺激していることが知られています。(「スマホ脳」参照)
わたしたちは、自らの意思でスマホを手に取っているのではなく、スマホを自然と手に取ってしまうように仕向けられているかもしれないということです。
ドーパミン分泌で得られる満足感に対する「期待」によって突き動かされ、毎秒世界中で更新される「何か新しい刺激」を永遠に追い求める、だからこそ人はスマホに依存するのです。
退屈な時間をしのぐ「気晴らし」のために、限りある人生の時間を浪費しているのです。
この記事の始めにご紹介した「魚釣り」の例に立ち返れば、友人は「魚」を求めているのでなく、「釣れるかどうか」という期待(ドーパミン)を求めているということです。
また、ドーパミンで得られる幸福感は長続きしないことも明らかになっています。いくらSNSで「いいね」を稼ぐことができたとしても、それは人生の幸福には直結しないのです。
まとめ
私たちは、退屈をしのぐために「気晴らし」を求め、時間を浪費します。
今回の投稿で皆さんにお伝えしたかったことは、「SNSをやめよう」「釣りは無意味」ということではなく、
「気晴らし」を自分自身でコントロールしよう
ということです。
僕は、「気晴らし」も人生の大切な要素であると考えています。このことは縄文人が縄文土器に縄目の文様をつけた時代からずっと変わっていないことです。
とはいえ、人生は今日という1日、この一瞬の積み重ねです。「気晴らし」にSNSを眺めることは、あなたにとって本当にやりたいことなのでしょうか?それとも、どこかの誰かによってそうするように仕向けられたのでしょうか?
わたしたちの人生の有限な時間。大切なこの時間は、他の誰のものでもなく、あなた自身のものです。そして、その使い方はあなた自身が選択していくべきなのです!
最後に、皆さんも考えてみてください。
あなたの「本当にやりたいこと」は何ですか?「幸せな人生」とはなんですか?
それでは!ありがとうございました!
【参考文献】
「暇と退屈の倫理学」國分功一郎 2015
「スマホ脳」アンデシュ・ハンセン 2020
「精神科医が見つけた3つの幸福 最新科学から最高の人生を作る方法」 2021
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