はじめに
最近、SNSや様々なメディアにおいてよく「親ガチャ」という言葉を耳にします。
「子どもは親を選ぶことができない。生まれ持った容姿や家庭の金銭的な状況によって、子どもの人生の多くは決定されてしまう。」
そんな状況を実にわかりやすく表現したのが「親ガチャ」という言葉です。
キャッチーな響きも相まって、世の中に広まり、議論を呼んでいます。
今回は、そんな「親ガチャ」について、アドラー心理学の立場から見解を述べていこうと思います。
「親ガチャ」議論のカギとなる「アドラー心理学」

アドラー心理学とは、フロイト、ユングとともに「心理学の三大巨頭」と並び称されるアルフレッド・アドラーの提唱した「個人心理学」のことを指します。
もともとアドラーは、日本ではあまりメジャーな存在ではありませんでした。しかし、2013年に岸見一郎・古賀史健氏の「嫌われる勇気」が出版され、大ヒットしたことから、アドラー心理学は我が国でもメジャーな存在となりました。
- すべての悩みは対人関係
- 人は変われる
- トラウマは存在しない
- 褒めることも叱ることもしてはいけない
など、アドラー心理学はわたしたちに多くの示唆を与えます。
今回の記事では、「アドラー心理学にもとづけば、親ガチャの議論は完全に否定される」ということを述べていきます。
アドラー心理学を語るうえで最も大切な「目的論」

「アドラー心理学」の重要概念として、「目的論」というものがあります。
「目的論」はフロイト的な「原因論」の対極にある概念です。
それぞれを簡単に解説していきましょう。
原因論
わたしたちの現在、そして未来は、すべてが過去の出来事によって決定済みであり、動かしようのないものであるという立場。
(例)虐待を受けたという過去の経験があるから、トラウマに支配され他人とかかわることができない自分になった。
原因論に立脚し、過去の経験によって現在の自分が決定されるとするならば、過去に虐待を受けた経験のある人は、もれなく他人とかかわることができなくなるということになります。
目的論
わたしたちの現在、そして未来は、過去の経験によって決定されるのではなく、経験に与える「意味」によって自らの生を決定するという立場。
(例)大きな災害に見舞われたとか、幼いころに虐待を受けたという出来事が人格形成に及ぼす影響はゼロではないが、それによって何かが決定されるわけではないということ。
目的論に立脚すれば、過去に虐待を受けた経験をもっていても、それを経験したすべての人々が他人とかかわることができなくなるわけではないということになります。
「原因論」と「目的論」の違いについて、ご理解いただけたでしょうか。
みなさんは、どちらの立場に共感しましたか?
僕は、「原因論」の主張にはやや厳しい部分があると考えています。
ある経験が、それを経験したすべての人を不幸にすることはあり得ませんし、上述の虐待の例でいえば、「目的論」的に「自分は虐待を受けたから他人の痛みを理解することができるようになった」という意味を与えることもできると思うのです。
ですので、この記事では「目的論」を前提として「親ガチャ」について考察していきたいと思います。
「人生」は生まれもった環境によって決定されるのか

さて、いよいよ「親ガチャ」について考察していきます。
「親ガチャ」という言葉は、「原因論」に立脚したものでしょうか、「目的論」に立脚したものでしょうか。
ここまでお読みいただいた皆さんならお分かりの通り、「親ガチャ」は「原因論」的な発想です。
「自分はこんな親の元に生まれたから不幸なんだ」
「家庭がもっと裕福だったら、こんな思いをせずに済んだのに」
「親ガチャ」という言葉は、現在の「不幸な自分」を「生まれ=親」のせいだと説明しようとしているのです。
アドラー心理学的に言えば、「現在の不幸な自分を肯定するという目的ために、過去を利用している」ということになるでしょう。
さて、ここで改めて「目的論」という言葉の説明に戻ります。
より詳しくいえば、「目的論」とは、「現在の”目的”を叶えるために過去の出来事に意味づけをし、利用している」という理論なのです。
虐待を例にとれば、
人とかかわりたくないから、過去の虐待という経験をもち出している
つまり、「人とかかわらない」という目的があって、虐待の経験に基づいた「不安」という感情を作り出しているということです。
虐待以外の例を挙げるとすれば、
引きこもりの子は、他者とかかわることが不安だから引きこもっているのではなく、親の注目を一身に集めたいから引きこもっている。
赤面症の女性は、赤面症だから憧れの彼に告白できないのではなく、彼に振られるのが怖いから、告白せずにすむように赤面症を利用している。
(いずれの例も「嫌われる勇気」参照)
ということなのです。
冒頭で述べた、「トラウマは存在しない」というアドラー心理学の主張も、「目的論」をもとに考えればご理解いただけることかと思います。
「トラウマ」は原因論に立脚した主張なのです。
あなたは「不幸であること」を選択している

「大切なのはなにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである」
これは、アドラーの言葉です。
人は、どの家庭に生まれるか、どの時代に生まれるか、人種や国籍、民族の違いを自ら選ぶことができません。
だからこそ、「親ガチャ」という言葉は多くの人に受け入れられるのでしょう。
しかし、「なにが与えられているか」に執着して、なにか現実が変わるのでしょうか。
繰り返しになりますが、わたしたちは「生まれ=親」を選ぶことは決してできません。
必要なのは、交換不能な「生まれ=親」を嘆くことではないのです。
考えるべきは、交換ではなく更新なのです。
「わたしたちが不幸なのは、不幸の星のもとに生まれたから」という主張は、「原因論」に立脚した誤った考えであると言わざるを得ません。
「親ガチャのせいで自分は不幸であるのだ」という議論は「自分は不幸の星のもとに生まれたから不幸になった」という極めて原因論的なものです。
「目的論」をもとに「不幸な自分」をとらえなおせば、「不幸であることを選択し、その目的のために過去を利用している」ということになるでしょう。
さて、あなたは「不幸であることを選択した」という事実を受け入れられるでしょうか。
アドラー心理学の重要概念「ライフスタイル」

みなさんは、人の性格は「変えられないもの」と考えますか?それとも「変えることができるもの」と考えますか?
アドラーは、人の性格や気質のことを「ライフスタイル」という言葉で説明します。
簡単に説明するならば、「ライフスタイル」とは、「どのようなフィルター越しに世界を見ているか」いわば「世界観」のことを指しています。
例えば、「わたしは悲観的な性格だ」ということを「わたしは悲観的な”世界観”をもっている」と言い換えてみます。
性格といえば、変えられないものであるというニュアンスで語られることが多いかもしれません。しかし、世界観であれば変容させていくことが可能なイメージをもつことができます。
アドラー心理学では、「ライフスタイル」は自らの手で選び取るものであると解釈されます。
つまり、「ライフスタイル」は生まれもって与えられたものではなく、自ら選んだものである。自ら選んだものであるのなら、再び選びなおすことも可能である。
これが、アドラー心理学でいう「ライフスタイル」の概念なのです。
そして、わたしたちは今この瞬間にも「変わらないライフスタイル」を選択しているといえます。
つまり、現在自分が不幸であると感じている人は「変わらない=不幸であるライフスタイル」を選択しているということができるのです。
それではなぜ自ら「不幸である」ということを選択するのか。
上述の赤面症の女性を例にとるとわかりやすいでしょう。それは、
告白しないことによって、「告白すれば付き合える」という可能性を残しておきたいからです。
「親ガチャ」を語る人は、「もし裕福な家庭に生まれていたら」という可能性の中に生きていたいだけなのです。変わらない自分への言い訳として過去をもち出しているのです。
それでは、どうすれば「ライフスタイル」を変えることができるのか。
たった一つの答えをご紹介します。
それは、「今のライフスタイルをやめる決心をする」ことです。
すべては、あなたが「勇気」をもって踏み出すことができるか。「幸せになる勇気」をもつことができるかにかかっているのです。
アドラー心理学は、「これまでの人生に何があったとしても、今後の人生をそう生きるかについて何の影響もない」ことを示しているのですから。
「親ガチャ」は、あなたを決して不幸に陥れたりはしないのです。
アドラー心理学は「人は変われる」「誰もが幸せになれる」という勇気の心理学なのです。
まとめ
ここまで読んでいただいた皆さん、本当にありがとうございます。
「アドラー心理学」は、僕の人生にとって、とても大切な考え方です。
今回は、「親ガチャ」という言葉について、そんなアドラー心理学をもとに考察してきました。
僕がこの記事の執筆を決意したきっかけは、テレビ番組でふと耳にした「親ガチャ」という言葉とそれにまつわる議論に相当な違和感を覚えたことでした。
今回の記事で皆さんに本当にお伝えしたかったのは、
「親ガチャ」によってわたしたちの人生は何も決定されない。「今、ここ」で「幸せになる勇気」をもつことができれば、誰もが幸せになれる。
ということです。
このメッセージがより多くの人に届き、幸せな人生を選択し生きていく一助になれたら嬉しく思います。
また、本記事執筆にあたっては、岸見一郎さん・古賀史健さんの「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」や小倉広さんの「もしアドラーが上司だったら」を大変参考にさせていただきました。
もし、アドラー心理学に少しでも興味がわいた方がいらっしゃったなら、そちらの書籍をぜひ手に取ってみてください。
それでは!ありがとうございました!
【参考文献】
「嫌われる勇気」岸見一郎・古賀史健 2013
「幸せになる勇気」岸見一郎・古賀史健 2016
「もしアドラーが上司だったら」小倉広 2017
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