【幸せのヒント】日本人にとっての「幸福」と世界のさまざまな「幸福」

ライフスタイル

はじめに

みなさんは、どんなことに「幸せ」を感じますか?

美味しいものを食べたとき、お酒を飲んだ時、家族や友人との時間を過ごしているとき、動物と触れ合っているとき、美しい景色を見たとき…

わたしたちの「幸せ」を感じる瞬間は、人によってさまざまでしょう。

「幸せ」の定義は人によって違うのです。

また、自分自身の中でも時間の経過とともに「幸せ」の定義は変化していきます。

好きだった歌が 響かなくなったな

これは、Galileo Galileiの「夏空」という楽曲の歌詞の一部です。

あのとき夢中になって聴いていた曲が、今となっては響かない。

そのようなことは誰もが経験することではないでしょうか。

飽きたり、心境が変化したり、自分が成長していく中で「幸福観」は変化していくのです。

一方、人生を通して変わらない「幸福観」についても考えていかなければなりません。

なぜなら、それはその人の人生の”軸”であり、”夢”であり、”目標”につながるからです。

時間の経過とともに移ろう「幸福観」を楽しみつつも、人生の軸となり、方向性を指し示す「幸福観」についても考え、理解を深めることが大切なのです。

そこで今回は文化による「幸せ」の定義やとらえ方の違いについてまとめていきます。

自分自身の「幸福観」を問い直し、「幸せ」をつかむための第一歩を踏み出しましょう!

言語による「幸せ」の定義の違い

まずお伝えしなければならないのは、「幸せ」には文化差があるということです。

みなさんも、テレビ番組の特集などで、世界の人里離れた村に住む部族の斬新な文化を目にしたことがあるのではないでしょうか。

そこでの価値観はわたしたちのそれとはまったく違うものでしょう。

また、人里離れた民族でなくとも、食文化の違いにより日本では考えられないようなものを食べている地域もあれば、納豆を食べている日本人を理解できない方も多く存在するのです。

しかしここでは、食文化や風習ではなく「幸せ」の定義自体がそれぞれの文化によって異なっているということについてご紹介していきます。

まず例に挙げるのは、ドイツです。

なんと、ドイツ語には「Happiness(幸せ)」を意味する言葉が存在していません。

それに近いものでいえば、「Glück(グリュック)」という言葉がありますが、それはどちらかというと「Luck(幸運)」に近い言葉です。

イギリスの人々が思う「幸せ」のイメージと、ドイツの人々が思う「幸せ」のイメージは、言語のレベルで根本的に異なっているのです。

これほど地理的にも近いドイツとイギリスでも「幸せ」への見方・考え方が異なるということには、少々驚きもありますよね。

また、フィンランドでは「SISU(シス)」という言葉が、幸せや良い状態を意味します。

しかし「 SISU(シス)」 どちらかというと、「勇気」「負けない強さ」が人間の幸せの根幹にあるという考え方です。

何をもって「幸せ」とするのか、言語を調べていくとその国の「幸福観」が浮かび上がってきます。

また、言語以外の「文化」や「価値観」に注目していくと、

たとえば中東には「fear of happiness(幸福への恐れ)」という考え方があります。これは、ポジティブを感じていることは神様にとって悪いことをしているという感覚、断食など苦しいことをすればするほど天国に向かっていくという強いネガティブを望む「幸福観です。

一方、アメリカの「幸福観」を考えていくと、「アメリカンドリーム」に代表されるように、強いポジティブを望む「幸福観」があることはなんとなくイメージできるのではないでしょうか。

そしてヨーロッパには、各国の文化による細かな違いはあれど「人権」などに代表される弱いポジティブを望む「幸福観が存在すると考えられています。

それでは、いよいよ日本の「幸福観」について考えていきましょう。

日本人の「幸せ」

日本の「幸せ」の言葉は、もともと「し合う」「仕合わせる」というお互いに「合わせる」ということや「巡り合わせ」というニュアンスの言葉がもとになっています。

もともとの「仕合わせ」という言葉は、「巡り合わせ」が良いとか悪いといったことを、「仕合わせが良い」「仕合わせが悪い」などといった文脈で使われるようになりました。

現在の「幸せ」という言葉は、「仕合わせ」の「仕合わせがよい」という意味だけが残ったものだとされています。

人と人、人と出来事とが良い関係をもつということを「幸せ」である、よい状態であると考えるという考え方のが日本の「幸福観」の根本にあるのです。

ここまでは、「中東=強いネガティブ」「アメリカ=強いポジティブ」「ヨーロッパ=弱いポジティブ」を望む「幸福観」があるということを述べてきました。

それでは、日本の幸福観は一体どのようなものでしょうか。少し想像してみてください。

結論をいうと、日本の文化には弱いネガティブを「幸せ」と感じる人が多いという特徴があります。

それに代表されるものが「わびさび」でしょう。

広辞苑によれば、「わびさび」とは「ものしずかなこと。 ひっそりとして淋しいこと。」であると説明されています。日本人は、弱いネガティブに美しさや心に響くものを感じる「幸福観」をもち合わせているのです。

例を挙げるならば、「桜咲く」よりも「桜散りかける」、「夏の終わり」などに言語化できない「良さ」を感じる感覚があるということです。

最近生まれた言葉では、「エモい」という感覚もこれに近いものがあるのかもしれませんね。

つまり、わたしたちがどのような文化の上に立って「幸せ」をとらえているのか、これを理解することがご自身の「幸福観」について考える前提となる要素であるということです。

また、ここまで述べてきたのは、あくまでも「傾向」の話ですので、日本人全員が「弱いポジティブ」に「幸せ」を感じるというわけではありませんし、たとえば若い世代は「盛り上がり」などより強いポジティブを望む性向があるというのも事実です。

まとめ

今回は「幸せ」の文化差についてまとめてきました。

ここまで述べてきたことから皆さんにお伝えしたいことは、

  • 「幸せ」という絶対的な定義はない
  • 「幸せ」は相対的なものではない

ということです。

「幸せ」には文化差があるとご説明してきたように、個人差もとても大きく存在します。

他人と比べ、「〇〇だから幸せになれない」と決めつけ諦めず、自らの「幸福観」を問い直してみる。そこが「幸せな人生」への重要なスタート地点なのです。

あなたにとって「楽しい」ことはなんですか?

あなたの本当にやりたいことはなんですか?

あなたの「幸福観」はどのようなものですか?

人生の選択をするとき、「幸福観」を指針として決定していけばよいのです。

僕は、このステップを踏むことで「人生の幸福」という観点からお酒をやめました。

これは、一時的な飲酒による「楽しさ」ではなく、「健康」という人生の幸福を選択したためです。

今回の記事が、みなさんの人生の大切な選択をする「きっかけ」となれば嬉しく思います。

まずは、ゆっくりと、考えてみることから始めていきましょう!

また、過去に「幸せ」に通じる「どのようなフィルター越しに世界をとらえるか」という考え方についての記事も投稿していますので、よろしければそちらもぜひ参考にしてみてくださいね!

それでは!ありがとうございました!

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