はじめに
こんにちは!しょーです!
今日の記事は、
アドラー心理学の教え「褒めても叱ってもいけない」について、小学校現場で実践してみての学びや変化をまとめていきます。
僕の実践は小学校でのものですが、この記事は、
- 対人関係の悩みを少しでも抱えている方
- 子育てや教育の引き出しを増やしたい方
- アドラー心理学の理論ではなく実践についても知りたい方
に向けて書いた記事です。
みなさんには、「褒める」「叱る」にまつわる悩みはありませんか?
- 褒め方って難しい
- 部下や後輩、子どもは褒められることが目的になっていないか
- 褒めすぎで、甘えや妥協が生まれているのではないか
- 叱り方って難しい
- 叱るときにどうしても感情的になってしまう
- 叱ることで周りの人に避けられてしまうのではないか
そんな悩みは尽きないと思います。
僕自身も「叱れないこと」が教員としてのコンプレックスでした。
学生時代の教育実習や小学校教員としての働き始め、どうしても厳しいことを言えず、指導の甘さを指摘されることもありました。
しかし、アドラー心理学を学んでからはそういった悩みや迷いがなくなり、子どもたちとのかかわりに一貫性が生まれましたし、そういった指摘を受けることもなくなりました。
教員は、人数的にも多様性的にも多くの人間(子ども)を相手にする職業です。
ですので、「わが子にはうまくいった」というような狭い実践例ではなく、様々な事例に基づいた学びをお届けすることができると思っています。
この記事を読むと、
- 関わる全ての人と縦(上下)の関係ではなく横(仲間)の関係を築けるようになる
- 良い対人関係を作るスキルが身につく
この記事を読まなければ、
- 対人関係に軸がないので、人との接し方に悩み続けることになる
- 「褒める」「叱る」のマイナスの面を知ることができない
『嫌われる勇気』などでアドラー心理学を学んだことがある方も、実践編としてお読みいただければと思います!
アドラー心理学とは

アドラー心理学とは、フロイト、ユングとともに「心理学の三大巨頭」と並び称されるアルフレッド・アドラーの提唱した「個人心理学」のことを指します。
もともとアドラーは、日本ではあまりメジャーな存在ではありませんでした。
しかし、2013年に岸見一郎・古賀史健著の「嫌われる勇気」が出版され、大ヒットしたことから、アドラー心理学は我が国でもメジャーな存在となりました。
- すべての悩みは対人関係
- 人は変われる
- トラウマは存在しない
- 褒めることも叱ることもしてはいけない
など、アドラー心理学はわたしたちに多くの示唆を与えます。
今回の記事では、「褒めても叱ってもいけない」ということについて、教員としての実践知も交えながら述べていきます。
「褒めても叱ってもいけない」の基本

アドラー心理学の「褒めることも叱ることもしてはいけない」とは一体なぜなのか?
まずはその点について解説していきます。
アドラー心理学では、「褒める」「叱る」を以下の理由から否定しています。
「褒める」は、”能力のある人が能力のない人に下す評価”であり、その目的は”操作”である。
「叱る」は、”コミュニケーションの煩わしさを解消する手段”であり、その目的は”手っ取り早く屈服させること”である。
「褒めて育てる」か「叱って育てる」かという議論も存在しますが、アドラー心理学はそのどちらも、「横の関係を築けなくなってしまう(上下の関係を構築してしまう)」と否定します。
「褒める」「叱る」によって生まれる上下の関係を想像するならば、
例えば、上司が部下を「よくやった」と褒めたり「反省して」と叱ったりすることはイメージできますが、部下が上司に「よくやった」「反省して」と声をかけるのには確かに違和感があります。
これが上下の関係です。
「褒める」「叱る」で縦(上下・優劣)の関係を刷り込まれてしまうと、決して仲間ではなくなってしまいます。
アドラー心理学が理想とするのは、そのような「縦の関係」ではなく「横の関係」です。
「横の関係」は「同じではないけれど対等」と説明されます。
そういった関係を構築することができれば、優劣による悩み(劣等感)も生じないでしょう。
「認められたい」と他者軸で生きる承認欲求すら成立しません。
つまり、「横の関係」を築くことはアドラー心理学的に言えば「自分の人生を生きること(他人の人生を生きないこと)」につながるということです。
これは、アドラー心理学の「すべての悩みは対人関係」という基本原理にも通づる重要な考え方です。
学校現場の実践から得た「目指すべき方向性」

小学校では、教師用に売っているほとんどのハンコに「たいへんよくできました」と印字されていることからもわかる通り、「褒める」という文化が根強いです。
また、「ダメなことはダメと教えなければならない」という意識から、「叱る」ということも大切にされています。
確かに、学校教育を通して教えなければならないことは勉強だけではありませんし、教育の目的は「人格の完成」です。
ですので、教員としての役割を全うするならば、良いことは良いと教え、同時に多少の耳の痛いことも伝えていく義務があります。
ですので、数々の実践を踏まえての僕個人の見解として、「褒めても叱ってもいけない」を何も考えずに文字通り受け取ってしまってはいけないのだと考えています。
教育や人材育成に”フィードバック”は不可欠です。
良いことや悪いことを伝え、改善点や課題、アドバイスなどを授けることは先人の使命だと思います。
”フィードバック”がなくても、自ら失敗を通して学び成長していけるかもしれませんが、「自分だけでは気が付かないところ」について助言を受けられるからこそ、人の成長は促進されていくのです。
よって、この記事の結論としては、アドラー心理学の「褒めても𠮟ってもいけない」を
「フィードバックの際、子どもや部下を”評価”してはいけない」と、とらえ直すことを提案します。
- 「すごいね」「よくできました」ではなく「ありがとう」「みんな喜んでいるよ」という感謝を
- 「ちゃんとして」と評価を下すのではなく、子どもや部下とともに問題を見つめて共に解決策を
そんな風にマインドチェンジすることが必要なのです。
「問題を見つめて共に解決策を」というのは、映画を二人で見ながらその映画について話しているようなイメージです。
一方的に「こうしたほうがいい」と押し付けるのではなく、あくまで「横の関係」として”対等”に考えることが大切なのです。
まとめ
今回は、アドラー心理学の「褒めても𠮟ってもいけない」について、実践を通しての学びを交えながら解説してきました。
「褒めても𠮟ってもいけない」とだけ聞くと、「そんなことができるのか?」と難しく思えてしまいますが、結論部分で述べた内容は、より実践に取り入れやすいものだと思います。
この記事が皆さんのアドラー心理学実践にとってのよいきっかけとなれば嬉しく思います。
また、アドラー心理学については過去の記事でも解説していますので、そちらも参考にしてみてください!
それでは!ありがとうございました!
【参考文献】
「嫌われる勇気」岸見一郎・古賀史健 2013
「幸せになる勇気」岸見一郎・古賀史健 2016
「もしアドラーが上司だったら」小倉広 2017
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