【テクノロジーで夢をカタチに】そのカギはあなたの「妄想力」だった

教養

はじめに

「あんなこといいな」「できたらいいな」

ドラえもんの秘密道具は数々の「」を実現します。

現代においては、AIや5G、ロボティクスなどテクノロジーの発展が目まぐるしいですが、これらのテクノロジーは私たちの「」を実現し得るのでしょうか。

「必要は発明の母」などとはよく言いますが、これらのテクノロジーは、わたしたちの「必要」を満たすためだけに「発明」されたのでしょうか。

…僕は、それは違うと思っています。

開発段階や現時点での「必要」には限界があります。

発明されたテクノロジーをどのように使い、どのように結びつけ、新たなものや価値を生み出していくのか」という「発明は必要の母」という従来とは逆方向の発想が最も重要だと思うのです。

「Uber Eats」で知られる「Uber」は、既存の「Google map」や情報通信技術を活用することで、タクシーを1台も所有せずして世界一のタクシー会社となりました。

ここで注目したいのは、「Google map」や情報通信技術の発明・発展は世界一のタクシー会社をつくるためのものでは決してなかったということです。

これからの時代に必要なのは、新たな技術が生まれる「フェーズ1」的な議論ではなく、それらが認識され活用・応用され始める「フェーズ2」、それらを組み合わせて複雑な「エコシステム」が生まれる「フェーズ3」的な議論であるはずです。

〈それぞれのフェーズの例〉

フェーズ1…電気の発見

フェーズ2…電気の技術をもとに家電などが発明される

フェーズ3…新しくできた機械や産業がつながりあって、「インターネット」や「新幹線」など複雑な「系」が生まれる

テクノロジーをどのように活用し、「夢」を実現させていくのか。

「あんなこといいな」「できたらいいな」という「妄想力」を解き放つフェーズが、今ここに始まりつつあるのです。

「発明は必要の母」的な従来とは逆方向のアプローチ

ポストイットは強力な接着剤を開発しようとして、結果的に何度もつけたり外したりできる付箋を生み出したように、発明が先行して必要を生み出す「発明は必要の母」的なアプローチは、これまでも大きな役割を果たしてきました。

このことからわかるのは、

イノベーションのスタート地点には、必ずしも解決すべき課題があるとは限らない

ということです。

つまり、ある「発明」がそれまでに誰も考えていなかった「必要」を生み出すことは歴史的にも珍しいことではないということなのです。

例えば、産業革命の起爆剤となった蒸気機関は、最初から機関車の駆動技術を目的として発明されたわけではありません。そもそもは、炭鉱から水をくみ上げるためのポンプとして開発されたのです。それを交通機関に転用した蒸気船が実用化されたのは、発明から40年後のことでした。

また、スティーブンソンの蒸気機関車が実用化されたのは、それからさらに10年近く後のことだったのです。

スマートフォンのマルチタッチ技術(スマートスキン)の発明も、スマートフォンが生まれる以前(スマートフォンの登場などだれも予測していなかった時代)に行われました。

テクノロジーは、現在の価値観や常識の延長上で「必要」とされ必然的に発明されてきました。しかし、それらにどのような役割を与えるのか、それらの技術のポテンシャルをどのように発揮させるかについては、私たちの「妄想力」によるところが大きいのです。

「発明は必要の母」の一例

僕自身も、「発明は必要の母」的なアプローチを考えてみました。

大量のデータを通信し、扱うことが可能になった現代、多くのデータはクラウド上で共有され、より広い範囲で利活用されるべきであると考えます。

例えば、教育現場はいかがでしょうか(僕自身、教育に携わるものとして教育現場の例を挙げます)。

我が国では全国約30000校もの小中学校でそれぞれの教員が綿密に授業準備(教材研究)を行い、授業実践を重ねています。

僕が提案するのは、全国の教員が作ったデータを(児童生徒の個人情報を削除したうえで)クラウド上で共有し、働き方改革と授業の質の向上を同時に実現しようというものです。

例えば、「円の面積」の学習はみなさんの住む地域の学校でも行われていますし、みなさんの住む地域から程遠いどこか離島の学校でも行われています。

そして、日本全国で毎年同じ範囲の授業準備を何千人ものの教員が行っています。これは、明らかに非効率ではないでしょうか。

確かに、授業力を高めるという視点では、自ら授業を組み立てる力は重要かもしれません。しかし、教育現場の長時間労働が教員の心身を蝕んでいることも事実です。

現場には、「はじめのうちは苦労したほうがいい」という風潮もまだまだ色濃いようですが、データを共有するハードルがここまで低くなっている現代においては、それを使い倒すことが合理的であるように思います。

これを活用せず、自力で解決させることで資質・能力の向上を図ろうとするのは、車などのモビリティが発達し、普及している現代において、自らの足で全力疾走することを美徳とするような話です。

無論、車が発明されてからも依然として陸上競技がオリンピック種目に入っているように、テクノロジーの普及は私たちの自力での挑戦を否定するものではありません。陸上競技は車や新幹線という移動手段が普及し多くの人が利用できることを認めたうえでなお「人類の限界への挑戦」として受け入れられているのです。

僕の教育現場に関する提案も、個人の資質・能力を高める挑戦を否定するものではなく、誰もが利用可能な「選択肢」として導入されるべきであるという性質のものです。

さらに、GIGAスクール構想により子どもたちに1人1台端末が割り当てられる時代においては、データの共有がもたらす効果は非常に大きいと考えられます。

様々な分野でデータの持つポテンシャルを解き放ち、全国規模で共有・蓄積することができれば、日本という国家全体として、効率化が加速するように思うのですが、いかがでしょうか。

また、データの共有は効率化以外の理由からも有効であると思います。

歯医者を例にとるとどうでしょうか。東日本大震災の時、津波に流された遺体の身元確認の多くは親族とのDNA鑑定で行われました。しかし、家族が全員津波に流された場合、身元確認は困難になります。

そこで利用されたのが、歯医者の持っている「歯型」のデータです。

しかし、この方法には少々課題がありました。それは、歯医者もろともその地域が流されてしまった場合、この手段をとることもできず、身元確認は相当に難しいものとなってしまうということです。

そこで、データの力を解き放ち、ある程度の規模で歯形などのデータを共有し震災など緊急事態のときにはそれらを利用して身元確認を行う。そういった柔軟性は、プライバシーの観点こそあれど、1つの選択肢として検討するに値するのではないでしょうか。

まとめ

これからの時代は、様々な分野に「テクノロジーをどのように取り入れ、可能性を解き放つか」という「妄想力」が重要な局面になるであろうことは、これまでも述べてきました。

「とはいっても、自分にはあまり関係のない話だな」

と思ったみなさん。それは違います。

なぜなら、「テクノロジーをどのように取り入れ、可能性を解き放つか」という議論は、どの分野においても例外ではないからです。

あなたの学ぶ分野、働く業界にはテクノロジーによって解き放たれる「可能性」は隠されていませんか?

その分野にかかわる人にしか気づくことのできない問題意識は、世の中に相当量は存在するのではないでしょうか。

まずは、「できたらいいな」と「妄想」し、声を上げることです。

あなたの「夢」は、テクノロジーによって形になるかもしれません。

【参考文献】

「妄想する頭 思考する手 想像を超えるアイデアの作り方」歴本純一 2021

「シンニホン」安宅和人 2020

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