はじめに
「生産者の使命は貴重な生活物資を水道の水のように無尽蔵に提供し、貧を除くことだ」
この言葉は、「経営の神様」と称される、パナソニック(旧松下電器産業)の創業者・松下幸之助が松下電器の創業にあたり、宣言したものです。
これはつまり、
「生産者の使命は、必要な生活物資を提供し、人々が豊かに生活できる基盤を築くということである」
ということです。
この松下幸之助の有名な「水道哲学」は、「生産者(ビジネス)の使命は、貧を除くこと」と宣言しているのです。
それでは、現在の世の中は”貧”なのでしょうか。生活物資は不足しているのでしょうか。

それは違います。
現在、わたしたちは人類史上最も生活物資に恵まれ、多くのものが捨てられる世の中に生きているのです。
つまり、「水道哲学」が生産者やビジネスの使命を示しているのならば、旧来の大量生産・大量消費が大きな価値を生み出すという「ビジネスの使命」は終了した可能性が高いといえるのではないでしょうか。
実際、生活物資の提供や生活基盤が十分に整備された現在の社会では、大量生産・大量消費が大きな価値を生み出すオールドエコノミー型の産業が衰退し、「モノ」にとらわれず知的生産が価値を生む社会への転換が急速に進みつつあります。
変わりゆく”社会に求めらる人材像”
ここまでの議論から明らかになるのは、これからの社会に求められる人材像が、
「1つ1つを速くやる」という大量生産・大量消費社会時代の人材像から、
「やることを削る」 という、イシュー(解くべき課題)を見極め、実行する人材像
へと急速に転換しつつあるということです。
これからは、与えられた業務をただひたすらにこなし続ける時代は終了し、「本当にやるべきことを見極める力」が必須のスキルとなっていくのです。
しかし、勤勉で責任感の強い日本人の国民性は、このことを難しくしています。
これは、どういうことでしょうか。
世界経済フォーラム(通称ダボス会議)によれば、日本の「労働者の質」は世界第4位であるとされています。
一方、日本の「生産性」は世界第28位と、G7では”最下位”、OECD加盟国の中でも37か国中”21位”の水準となっており、これほどの人口・経済規模を誇る国家としては相当に低いものとなっています。
なぜ、「労働者の質」と「生産性」の順位には、これほどの開きがあるのでしょうか。
この事実には多くの要因がありますが、”勤勉”で”責任感の強い”というかつては日本の強みであった国民性が、「やることを削る」ということを阻み、ボトルネックとなっている可能性が高いと考えられます。
これまでは日本にとって”強み”であった国民性が、これからの時代には”弱み”として露呈してしまうという残念な状況になってしまっているのです。
また、「ビジネスの使命は終了した可能性が高い」とは先ほど述べてきましたが、大量生産・大量消費社会の構造が成り立つのは人口増加局面だけであるという点にも注意が必要です。
戦後、日本は人口増加を想定した”アメリカモデル”にならう形で”奇跡”ともいえる発展を遂げてきました。
しかし、世界的にも例を見ないスピードで人口減少と高齢化が進む現状においては、「ビジネスの使命の終了」という側面は、他国に比べても相当大きなものであると考えられます。
そして、AI・ロボティクスなどのテクノロジーの発達によって、”勤勉”と”責任感”によって可能となった「1つ1つを速くやる」能力は、もはや強みではなくなる可能性が高いでしょう。
今回の記事では、日本にとってこれまで良しとされてきた「1つ1つを速くやる」から、これからの時代に求められる「やることを削る」への大きなマインドチェンジの起爆剤として、「前向きな妥協」というスローガンを掲げてみてはどうか、という提言をしていきます。
具体的な行動指針”前向きな妥協”
”勤勉”で”責任感”が強く、「労働者の質」が世界第4位である日本人にとって、前時代型の大量生産・大量消費のゲームは強みを最大限に生かすことのできる”得意分野”だったといえます。
しかし、これからの時代においては、そういったかつての”強み”が”弱み”にもなりうるということについて、これまでにも述べてきました。
よって、「求める人材像を日本全体として刷新していくこと」が必要なのです。
これには大きなマインドチェンジが必要であり、それは個人的なものではなく社会全体としての運動論でなくてはなりません。
そこで、僕が提言するのは、「前向きな妥協」というスローガンを掲げ、大きな運動論としての改革を進めてはどうかということです。
これはつまり、社会に広く認められる新たな”価値観”を生み出すにあたり、
イメージしやすく親しみやすいスローガンを掲げ、それが働き方改革や教育改革のキーワード的に利用されることを目指す
というものです。
そこで、”勤勉”なイメージの対極に位置する”妥協”というインパクトの強い言葉を採用し、”前向きに”という本来は”妥協”と同居することのない言葉を枕詞的に添えることで、「前向きな妥協」という言葉を生みだしました。
「前向きな妥協」のイメージに最も近い言葉は「戦略的撤退」です。しかし、戦略的撤退とは近いようで少し違う概念ですので、その違いとイメージについてご説明していきます。
まず、「戦略的撤退」について確認していきましょう。
戦略的撤退・・・
敗戦を覚悟して、傷口が広がらないうちに撤退すること。 全体の戦況を不必要に悪化させず、長い目で見て勝利を得るために、戦術的には不利であっても一旦撤退すること。 一般的にも、態勢を立て直すためにとりあえず逃げることを指して用いられる。(ピクシブ百科事典より)
「傷口が広がらないうちに」「不利」「逃げる」などという言葉で説明されているように、この言葉はあまり「前向き」な文脈で使われるものではなさそうです。
ですので、「前向きな妥協」とは少しニュアンスが異なっています。
僕の定義する「前向きな妥協」とは、
- 本当に大切なことに時間を使うために、必要な仕事・イシュー(解くべき課題)を見極め、積極的に削っていくこと。
- 意義の少ないタスクから自分や組織を開放し、バッファ(ゆとり、余裕)をもつことで「良い状態(健康状態)」を保ち、高いパフォーマンスと幸福な人生を実現すること。
- 過度な”勤勉さ””責任感”から脱却し、自らの心身を過度に追い込まないこと。
を目的とした運動論です。
より詳しく説明するのなら、
- 長時間労働をしたり、睡眠時間を削ったりするのではなく、自分を「良い状態」に保つことを最優先すること
- 育成する人材像を、大量生産・大量消費の時代に求められた「機械的に役割を果たす人材像」から「本当にやるべきことを見極め、それに取り組むことで大きな価値を生みだす人材像」へと刷新し、人材の評価基準もそれに準じたものとすること
このことを国家レベルの”価値観”として広めていこうということなのです。
より具体的な行動指針としては、
【企業レベル】
- 労働時間ドリブンな働き方のイメージを刷新し、アウトプットドリブン・価値ドリブンな評価基準を広く取り入れる。
- 人材像・産業構造を大量生産・大量消費社会の発想から、大きくマインドチェンジをすることで「データ×AI」などのテクノロジーを存分に活用した新たな価値創造を目指す。
【個人レベル】
- 今日に仕事を、「前向きに妥協」して早めに切り上げる
- 不必要なタスクを切り捨てることで自分の時間を確保し、心身を回復する時間を設けることで「well being(よりよく生きる)」への関心、意識を高める。
というイメージを国家レベルで共有していくことです。
さらに国家全体、すなわち社会レベルでは、
- 「前向きに妥協すること」を良しとする”価値観”の創造・共有
を目指していくべきなのです。
まとめ
今回の記事は、安宅和人さんの「シンニホン」(https://www.mof.go.jp/pri/research/conference/fy2017/inv2017_04_02.pdf)に大きく着想を得て執筆しました。
「シンニホン」を参考にしつつも、より大衆向けの、誰もがイメージしやすい”運動論”として「前向きな妥協」というスローガンを掲げました。
また、僕が”運動論”という言葉にこだわるのには理由があります。
それは、「働き方改革」を例にとるとわかりやすいのですが、
塔時間労働の是正やここに応じた働き方を目指す「働き方改革」は「前向きな妥協」と似た方向を目指しているものです。
しかし、「働き方改革」は具体的な行動指針をわたしたちに示しはしません。
「結局はあなた次第」という側面が強いのです。
「シンニホン」もぜひお読みいただきたいすばらしく示唆に富んだものですが、「シンニホン」という言葉には何の力もないのです。
「シンニホン」について深く知らない人が「シンニホン」という言葉を耳にしても、「プロレスの話かな?」「新しい日本?」「真の日本?」という疑問が浮かぶのみで、具体的にイメージすることはできないはずです。
だからこそ僕は、誰もが一度聞くだけでなんとなくイメージすることができ、行動に移すことができる「前向きな妥協」というスローガンを掲げ、それを広めていくというアプローチで、「日本の未来」をより明るいものにしていきたいと考えています。
多くの人々の行動を変容させることを目指すという意味で、あえて”運動論”という言葉を用いているのです。
ここまでお読みいただいた皆さんの中で、共感していただける方がいたのなら、より大きな運動論として広めていくために、シェアという形でご協力いただけると大変ありがたいです。
また、「前向きな妥協」の例として、個人レベル、企業レベル、社会レベルでの具体的なイメージをお示ししましたが、「ここはもっとこうしたらいい」というアイデアをいただきながら、バージョンアップを図っていきたいと考えています。
この運動論は、決して僕一人では成し遂げることのできないことです。
「日本の少しでも明るい未来」「残すに値する未来」にむけて、ご協力いただけたらと思います。
それでは!ありがとうございました!
【参考文献】
「シンニホン」安宅和人 2020
「イシューからはじめよ」安宅和人 2010
「ビジネスの未来」山口周 2020
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