はじめに
”アート”に興味がありますか?
”美”を意識していますか?
そんな風に聞かれても、
「正直あまりピンとこない」
という方が多いのではないでしょうか。
しかし、わたしたちの消費行動はこの”美”に相当影響されているといえます。
例えば、同じ値段・性能のパソコンがあったのなら、あなたは”美的センス”によってどちらかを選択し、購入することでしょう。
もしかすると、
「多少値段が上がってもデザインが好みのものを購入したい」
と考える方もいらっしゃるかもしれません。
衣服や車には膨大な種類がありますが、この”美的センス”による選択という側面がなければ、衣服はすべてシンプルで肌をある程度隠すことができればよいわけですし、車はある程度安全で燃費が良ければここまで多くの車種は必要ないはずです。
”アート”や”美”にはあまり詳しくないというあなたも、日常生活の中で多くの選択を”美”を基準に行っているのです。
なぜ”アート”や”美”は必要とされたのか?
わたしたちが、商品の機能にのみ注目し消費行動を行うのならば、”アート”や”美”は必要ないはずです。
しかし、自らの消費を振り返ると、多かれ少なかれ”アート“や”美”といった感覚を持って行動しているということは、ほとんどの方にご納得いただけるのではないでしょうか。
それでは、わたしたちはなぜ消費に”美”を取り入れるようになったのでしょうか。
それを明らかにするには、産業革命の時期にさかのぼらなければいけません。
産業革命によって、市民は企業に雇われ、工場で働くことで生計を立てる存在になりました。
工場では、機械のリズムに合わせ、自らも機械のように働くことが求められます。
そこには、人間性に対する意識はほとんどありませんでした。
労働者は「低付加価値・低所得」という状況により、資本家から搾取されたのです。
産業革命により、そうした搾取と安価で低品質な日用品が大量に生産される中、イギリスの工芸家ウィリアム・モリスは芸術と工芸を融合させる「アーツ・アンド・クラフツ運動」を主導しました。
わが国の小学校で行われている「図画工作」を英訳すると、「arts and crafts(アーツ・アンド・クラフツ)」となることからもここで生まれた流れは、現在にも脈々と受け継がれてきたことがわかります。
産業の中に”美”を取り入れることによって、労働者の人間性に対する問題を解消し、デザインの美しい製品を作ることで「高付加価値・高所得」への道が開かれたのです。
苦役的な労働から、人間性への回帰へ。
そうした道の延長上に現在のわたしたちの消費社会は位置しているのです。
”美”の時代は必ずやってくる
商品の機能だけに注目すれば”アート”や”美”は必要ないということは、これまでにも述べてきました。
例えば、世界で初めて腕時計が生産されたとき、現在のようなきらびやかなデザインのものではなかったでしょう。
”時間をいつでもすぐに確認できるツール”という機能面に人々は注目し、それを求めたはずです。
これは、そのほかのすべてのものにも当てはまります。
はじめは武器としての意味しかなかった刀が美しいデザインに洗練されていったり、雨風をしのげればよかった住居に様々なデザインの工夫がなされていったりと、
発明⇒普及⇒洗練
という段階に沿って、商品の”あるべき姿”は変容していくのです。
それでは、そういった3つの分類から見ると、今の時代はどのような段階に位置しているのでしょうか。
このことについて、多くの分野で指摘されているのは、現在が発明・普及のフェーズにあるということです。
この根拠は、現代の社会が「AI」や「5G」「ロボティクス」「VRやAR」など、様々な技術が生まれ、ようやく浸透しつつある段階にあるためです。
これらの最新技術はシリコンバレーや中国の一部企業によって掌握されているような状況ですが、これらがコモディティ化し、有効な活用方法が雨後の筍のように世界全体から生み出されるフェーズがすぐそこまで来ているのです。
日本には「ビッグデータ」を集積するシリコンバレー型の「入口系」の産業はあまり存在せず、世界的に見ても遅れを取っている状況です。
しかし、「自動車産業」や「各種電化製品を生み出す産業」など、戦後急速に発達してきた「出口産業」が揃う世界的にも数少ない国なのですから、”アート”や”美”を武器に仕掛けていくことが必要なのです。
幸い、日本には”美”によって大きな価値を生み出す感覚があります。
かつて千利休が生み出した茶さじには数千万円の価値がつくとされているように、”美”によって目に見えない価値を生み出すことができるのです。
「技術×デザイン」
で価値を生みだし、勝負していく局面が、いま始まりつつあります。
まとめ
これから、”アート”や”美”が重視されるフェーズが到来するであろうことはほぼ確実視されています。
わたしたちに求められるのは、複数の商品が並んだ時に、なんとなく目に留まってしまうような、手に取ってしまうような”良さ”を生み出す感覚です。
そして日本には、「詫び寂び」に代表される物静かな、そしてどこか寂しげな”良さ”を感じる独自の文化が存在しています。
「出口産業」の存在とそれらの「価値を生み出す感覚」を武器に、新しい時代で勝負する方向へと舵を切っていくことが必要なのです。
まずは、身の回りの風景や美しい空間、なんとなく手に取ってしまう商品の”良さ”を想像してみることから始めてみてはいかがでしょうか。
それでは!ありがとうございました!
【参考文献】
「働き方の哲学 360度の視点で仕事を考える」村山昇 2018
「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?経営における「アート」と「サイエンス」」山口周 2017
「センスは知識から始まる」水野学 2014
「シンニホン」安宅和人 2020
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